自分は日本の国の為に生まれてきたと思っています

  • 2014.07.04 Friday
  • 00:56
元陸軍中尉 藤井長次93歳

薬業の家に生まれ日本薬科大学に入学が決まっていた時に支那事変となり
大東亜共栄圏の確立の為に自ら参戦を志願し
特攻を目指して予科練を受けたが胸囲不足の為に一旦は不合格となるも
陸軍士官学校を受験し直して軍人となられました
 
陸軍士官学校の卒業時、少尉になった時の記念写真をカラーに変換処理した晴れやかなアルバムを見せてくださいました
当時のお金で600円という立派な設えの軍装に深紅の房の付いた日本刀を携えた出で立ちと
(お給金は1か月45円時給50銭の時代)
未だ幼さの残る面影に晴れがましさと決意のこもった凛々しさがありました


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昭和18年正月〜〜21年5月
都合3年と5か月間で漢口、木更津、シンガポールの司令部、そしてレンパン島抑留

「シンガポールには慰安所や密淫と呼ばれた非合法の娼窟もありました」
 
「しかし自分の受け持ち区域ーマレー半島、ジャワスマトラ、北ボルネオーには(慰安所は)間違いなくありませんでした、断言できます」

「”従軍”慰安婦という言葉は新聞で初めて目にして驚きました(”従軍”慰安婦という言葉はもともと存在しません)

敗戦によりイギリス軍の捕虜として部隊ごと死の島レンパン島に抑留される
http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/30205931.html

「初めは特に食料も何も与えられない為に皆で山に入り食料を捜し、土を耕し、魚を捕獲し分け合って生き延びてきました」
 
「英軍との交渉を担当していました」
 
「それでも最後には栄養失調、皮膚病、マラリヤ熱に罹り瀕死の状態で帰還しました」
昭和21年に帰還したものの
家は焼け落ち、さりとてお金もない状態で、ならば自分で家を建てようと
大工の親方の下で見習いとして働くことにしました
丁度一か月が経ち、初めてのお給金を貰った家路に靖国神社にさしかかった時
そのあまりの寂れように驚き
 
「”靖国神社がこんなことではいけない”という一心で中身も見ず給金を袋ごと喜捨しました」
「自分は日本の国の為に生まれてきたようなもの」(ためらう気持ちはありません)

 
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その後薬業の世界に戻り、93歳の今も現役で働きつつ研究を重ね
毎月近県から上京しては長時間の講義をこなしていらっしゃいます
 
ひたすらに、有るがままの日本を愛し信じている爽やかな愛国の士であり
びっくりするような事柄も篤い想いも
何程でもないかのように淀みなく飾らず話されます
それは自戒からと言うよりも常にその時その場で出来ることを真っ直ぐ現実的にやり抜く、静かな決意の故にと窺えました
死の島と呼ばれたレンパン島に流された話で
戦時国際法を遵守せず捕虜に食料も与えない実質飢え死にさせることが目的とも思える英国軍の仕打ちに対しても
「英国軍はそれでもよくやってくれた」と恨み言の一つもありませんでした


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最後に、後に続く方々に伝えたいお気持ちをお聞きしました

ー日本は日本の国でありたいー

今の繁栄は日本という国柄を大切に守ってくださった方々のお蔭です
 
日本ほど良い国はありません  


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